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2011年04月29日  4/17陸前高田市にて 鎮魂の祈

どうしても行きたい場所がありました。

被害の大きかった場所でもあります「陸前高田市」。

ここはとても太鼓の盛んな町で、毎年全国太鼓フェスティバルも行われる所で自分も過去に二度ほどゲスト出演させていただいたこともありました。

観光名所としても有名だった「高田松原」は津波被害でほぼ壊滅しており、2キロにわたって続く松林も津波で根こそぎ流されており、そこにたった1本だけ残った松の木があり復興のシンボルとなった。

自分は、その松の木が見える場所に行き考えるよりも先に、太鼓を担いでいました。

強風でしたが、太鼓の音がとても響き、風の音は横笛の音に聞こえ、いつまでも叩いていられるような感じでした。

この体験はこれからの自分の太鼓人生の中で生き続けます。絶対に忘れません。

YouTube映像http://www.youtube.com/watch?v=6dr4n59Hn74

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2011年04月28日  4/16岩手県釜石港にて 鎮魂の祈り

和太鼓奏者として今まで、いろいろたくさんの舞台に立ち、たくさんのお客様に見ていただき、そしてお客さまに楽しんでいただきその笑顔や色々なメッセージを頂いてまいりました。

和太鼓奏者の自分に今、何ができるのかと考えておりました。

被災地に生きて、これから復興に立ち向かおうと今日を懸命に生きている人たちがたくさんいて、その方たちのどれくらいの人たちが家族を亡くしどんなに、悲しい思いをされているか。

無念さをどれだけ抱えているか。

自分はとにかく一万以上の失われた尊い命に、鎮魂の祈りをこめて太鼓を打たせてもらいたい。

そう思ったらすぐにでも被災地に向かいたいとの思いでいっぱいでした。

4/16は親戚でもある漁師であったとてもお世話になったおじさんのお葬儀に間に合い、納骨に向かう前に港に寄り、鎮魂の祈りをこめて太鼓を叩きました。

津波に一緒に流され助かった漁師である息子さんの話しによると、「津波が想像を絶するものだった」「仕方ないんだ!」と。最後に見た父親の顔は、穏やかだったと話しを聞きました。

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釜石商業高校の避難所

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